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室伏引退「体力の限界感じた」5大会連続五輪絶望的に

2004年アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治(41)=ミズノ=が、第一線から退く意向を表明しました。2年ぶりの出場も、上位8人が進出する4投目以降に進めず12位。5大会連続の五輪出場が絶望的になりました。男子100メートルは予選、準決勝を行い、日本初の9秒台突入を目指す山県亮太(24)=セイコーホールディングス=が準決勝10秒26(向かい風1・4メートル)の2組首位で決勝進出。10秒29の桐生祥秀(20)=東洋大=を0秒03差で制した。25日の決勝で記録&五輪を懸け激突します。

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鉄人は潔かったです。後がない3投目、室伏が投げたハンマーはファウル。優勝争いから脱落、5大会連続の五輪出場も絶望的になった失投を左足で地面を踏みつけ、悔しがりました。試合後、穏やかな顔で「体力の限界を感じた。五輪でメダルを狙う高みを目指すのは難しい」。世界の頂点を争う第一線から退くことを決めました。

らしくない投てきでした。個人種目で単独最多の21度目の優勝が懸かった試合に2年ぶりに参戦しました。1投目が64メートル74、2投目も64メートル02と伸び悩びました。「1回投げてから次までに体力を回復させるのに時間がかかる」。参加標準77メートル00に遠く及びませんでした。代名詞の雄たけびもなく、気力も限界。鋼のオリンピアンは「久々にオヤジと技術の話をしたり、家族で試合に臨めたのは楽しかった」と納得顔でした。

「父に導かれて続けてきた」。5月下旬に日本選手権に出場する意向を表明し、ブランクを埋めるために父・重信氏(70)から久々に指導を受けました。4度の五輪出場やアジア大会5連覇の足跡を残し、「アジアの鉄人」の異名を取った父と同じ道を歩んできました。

千葉・成田高1年から本格的にハンマー投げに取り組みました。98年に父が持つ当時の日本記録を更新し、00年シドニー五輪で初めて夢の舞台に立ちました。2度目の04年アテネ五輪では2位でしたが、薬物違反で1位のアヌシュハンガリー)が失格となり、繰り上げで金メダルをつみました。

尊敬する父を超え「世界の鉄人」となっても高みを見ていました。加齢による肉体の衰えを直視し、「人間の体はいつまでも進化できる」との信念で赤ん坊の寝返りや脳の働き、呼吸法にも着目し、練習に取り入れました。37歳で臨んだロンドン五輪は銅メダル。アスリートとしての創意工夫も際立ちました。

実績のある室伏には国際陸連の招待枠で出場の可能性をわずかに残しますが、頂点を極めた男は「考えていない」と参加することだけに意義を持ってはいないようです。今後は昨年6月に就任した日本オリンピック委員会の理事職などに専念しつつ、「後輩たちに期待したい」と未来の投てき界にも目を配っていくそうです。室伏は手を上げて、地元・名古屋のファンと青い芝に別れを告げたました。

室伏 広治(むろふし・こうじ)1974年10月8日、静岡県生まれ。41歳。陸上男子ハンマー投げの日本記録保持者。五輪に4大会連続出場し04年アテネで金メダル、12年ロンドンで銅メダル。日本選手権は95年から14年まで大会史上最長の20連覇。東京五輪パラリンピック組織委員会では理事とスポーツディレクターを担い、日本オリンピック委員会日本陸連の理事、東京医科歯科大の教授も務めます。千葉・成田高、中京大中京大大学院出。